The Researchers of Truth

たっちょのブログ

キリスト - たっちょ

2017/05/31 (Wed) 18:59:59
*.so-net.ne.jp

ダスカロス著

Joshua Immanuel The Christ
ジョシュア・イマヌエル キリスト

邦訳を読了したので原書(英語版)と共に研究していきます。

<記録すること>
・重要箇所
・キリストの言葉
・学びたい箇所
・登場人物について


気になった部分、特に覚えておきたいことなどもピックアップしておこうと思います。章ごとの自分の考察も最後に書いてあります。

序論(Introduction) - たっちょ

2017/06/01 (Thu) 18:56:10
*.so-net.ne.jp

ダスカロスによる聖書の翻訳 (ヨハネ1章1~5節)

ロゴスは絶対無限の権威の中にあった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった。ロゴスは神の絶対権威と共にあった。万物はロゴスによって成った。成ったもので、ロゴスによらずに成ったものは何一つなかった。生命は彼(キリストである「神-人」ジョシュア・イマヌエル)と共にあり、生命は人の光(自己性)である。そして光は暗闇(人の無知)の中で輝いている。しかし、暗闇はそれを理解しなかった。

In Absolute Infinite Authority is the Logos, and the Logos is in God and the Logos is God. He is in Absolute Authority in God. All things were made through Him and without Him nothing was made that was made. In him(the God-man Joshua Immanuel, the Christ) is Life and the Life is the Light (the Selfhood) of men. And the Light shines in the darkness (human ignorance) and the darkness did not comprehend it.


一般的な聖書の訳

1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は初めに神と共にあった。 3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 4この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 5光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. 2 He was in the beginning with God. 3 All things were made through Him, and without Him nothing was made that was made. 4 In Him was life, and the life was the light of men. 5 And the light shines in the darkness, and the darkness did not comprehend it.


--------------------------------------------
ダスカロスによる翻訳(ヨハネ17章24節)

天地創造の前から、永遠の今に”わたしはある。
Before the foundation of the world, I am- in the etrnal Now.

一般的な聖書

24父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。
24 “Father, I desire that they also whom You gave Me may be with Me where I am, that they may behold My glory which You have given Me; for You loved Me before the foundation of the world.

------------------------------------------------
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに

ジョシュアが語っていた杯とは、彼自身の受難ではなく、以降何世紀にもわたり今でも求められているもので、その時ジョシュアが予見した彼と彼の父の御名の下で流される血のこと。

--------------------------------------------

<ジョシュアがギリシャ語で弟子たちに与えた最も貴重で美しい掟>

ギリシャ語
34Ἐντολὴν καινὴν δίδωμι ὑμῖν, ἵνα ἀγαπᾶτε ἀλλήλους, καθὼς ἠγάπησα ὑμᾶς ἵνα καὶ ὑμεῖς ἀγαπᾶτε ἀλλήλους. 35ἐν τούτῳ γνώσονται πάντες ὅτι ἐμοὶ μαθηταί ἐστε, ἐὰν ἀγάπην ἔχητε ἐν ἀλλήλοις.


あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。(ヨハネ13節34,35節)

34 A new commandment I give to you, that you love one another; as I have loved you, that you also love one another. 35 By this all will know that you are My disciples, if you have love for one another.

--------------------------------------------

最後にラテン語で
Agnus Dei, ecce qui tollit peccatum mundi?


ヨハネ1章29節

見よ、世の罪を取り除く神の小羊


・ダスカロスによる翻訳には 「?」がついている。ここの意味はどういうことだろ?

PREFACE On the Nature of Truth  はしがき 真理の本質について - たっちょ

2017/06/02 (Fri) 10:18:53
*.so-net.ne.jp

I am the way, the truth, and the life.(John 14:6)
Throughout the last twenty centuries many have told stories, both orally and in writing, about the God-man Joshua Immanuel, the Christ - stories concerning his life, his purposes, and his teachings.
Most of these stories have been colored by their human way of understanding.
Writers, attempting to write of a person's life and of his teachings, frequently misrepresent the truth.
Sometimes these distortions are unintentional but they are often deliberate.
Whatever the reasons for distorting the real events and the true character of a person, such writers all too frequently present their readers wrong impressions.
Since many of the sources of information are unreliable, what is created is fantasy masquerading as fact.
Though it may seem that a writer is able to distort the Truth, the real Truth cannot be distorted.
For the Truth remains ever intact in the universal Mind: the Cosmic Consciousness or the Cosmic Memory of the planet.
There are only two trustworthy sources of information on the God-man Joshua Immanuel, the Christ.
One is in the Gospels according to the Evangelists: St. Matthew, St. Mark, St. Luke,and St. John.
The other is in the Cosmic Consciousness of the planet.
The Gospels according to St. John and St. Luke were written in ancient Greek, while the Gospels according to St. Matthew and St. Mark were written partly in ancient Greek and partly in Aramaic.
It is in the Gospel according to St. John, first cousin of the God-man Joshua Immanuel, the Christ, that the whole truth about the God-man is given.
Whatever has taken place on the planet- no matter how insignificant, in the life of a worm,of a plant, or of any other phenomenon of life - has been most accurately and permanently recorded in the Mind Cosmic Consciousness, where it can be contacted at any time.
By raising one's Self-consciousness to the higher levels of the Cosmic Consciousness of the planet and, by either 'attuning' one's Self to the time-and-place-space where someone has lived or by the socalled 'at-one-ment' with an object of study (which is a still higher level of Self-consciousness), one can contact in the eternal Now the living elemental of a historical person.
Only then can one see and experience the actual events, the whole life of the person that one seeks to know.
In the higher levels of the Cosmic Consciousness, in the five-and six-dimensional worlds, where all the worlds of the other dimensions are also found, one can experience anything that has happened in the three-dimensional gross material world, and relive all past events three-dimensionally.


要約

キリストに関する情報源で信頼できるものは2つ

・マタイ、マルコ(古代ギリシャ語、アラム語)、ルカ、ヨハネ(古代ギリシャ語)による福音書
・惑星の宇宙意識、宇宙メモリー


特に聖ヨハネによる福音書にはキリストの真実がすべて表されている。


宇宙意識
・マインドで創られている
・遍在するマインドの中に無傷で留まっている
・すべての現象が正確に、恒久的に、どんな些細なことでも記録されている。
・宇宙意識の高次元、5次元、6次元の世界であれば、3次元(物質界)で起きたことはどんなことでも追体験できる。また、すべての過去の出来事を3次元的に蘇らせることができる

宇宙意識に接触するには?
・自己意識を宇宙意識の高次レベルまで引き上げる


過去に生きた人びとのことを知る方法
・アチューンメント
・アットワンメント

-----------------------------------------

具体的に自己意識のレベルを上げるにはどうすればいいかが重要になってくると思う。

第1章 聖書時代のパレスチナの人々 - たっちょ

2017/06/05 (Mon) 16:06:24
*.so-net.ne.jp

当時のパレスチナにいた民族の概要が書いてある。
・ローマ人
・イスラエルの民
・エッセネ派の民
・ギリシャ人
・ベドウィン

------------
エッセネ派に焦点をあてて研究してみよう!

エッセネ派について

・紀元前1370年に当時のエジプトの王ファラオ アメノフィス4世は自身の名を“アケナトン(アンクーエンーアトン/Ankh-en-Aton)と改名し、それまでの偶像崇拝、偽りの神々を排除し、真実の霊である唯一神“アトン”の信仰を取り入れた。

その後の何世紀かにわたりエッセネ派は最初にエジプトに現れ、後にキプロス、パレスチナ、シリアなど他の地域に見いだされるようになった。

・エッセネ派の民は、霊である唯一の神を信仰していた。

・それは天と地の神であり、生命と愛の神であり、そして遍在し、全能であり、全知の神であった。

・エッセネ派の人々の心とハートには全ての人類の父である「霊である神」が宿っていた。

・彼らはその愛と慈悲の神を「アトナイ」(Aton-ai/アトンーアイ)と呼んでいた。

・パレスチナのイスラエル人の影響を受けモーセの十戒を受け入れていた。

・それはゾハール(光輝の書)やセフェル・イェツィラー(ユダヤ教の形成の書)を含むものであったが、残酷性や狭量性を示す無慈悲な教えを排除していた。

・パレスチナのエッセネ派の民(エッセネ人)は、ギリシャ系イスラエル人で、ナザレ人と呼ばれた。

・彼らの母国語は、ギリシャ語とアラム語であった。

・メシアがパレスチナのエッセネ派の中にお生まれになると信じていた。

・エッセネ派の拠点はエジプトであり、アヌー(ヘリオポリス)とイスケンデリア(アレクサンドリア)が知られていた。中東での他の拠点は、パレスチナ、シリア、キプロスなどであった。

・パレスチナの多くのエッセネ派の人々は、不信心なローマ人異端者から市民権を受け入れることによって、自分たちをイスラエルの民から完全に分離することを望んでいなかった。

・イスラエル民族によるサンヘドリン(最高法院)はエッセネ派を異端者とみなしていた。

・ナゼレのエッセネ派の人口は全体の5分の1程度であった。

・パレスチナの人口の3分の1はエッセネ派であった。

・エルシャレイイム地域には1万人ほどが暮らしていた。

・カファル・ナフームでは人口の5分の4がエッセネ派だった。

・サマリア、すなわちスカルやシケムと呼ばれたサマリアの町にも暮らし、イスラエル人がカパルータ(異端者)と蔑んだサマリア人とも平和裏に暮らしていた。

・エッセネ派の民が暮らすエルシャレイイムの郊外には、エッセネ派の大祭司の主教座が置かれ、その大祭司がパレスチナのすべてのエッセネ派を管轄していた。

・彼が選んだカファル・ナフームの大祭司と12人の大祭司による協力の下で、エルシャレイイムの大祭司はエッセネ派の民の宗教、教育、文化的生活を監督していた。共同体の教育水準と総合的な生活水準は非常に高いものがあった。

・エッセネ派は彼らの商売においても公正と公平を常に貫き、また奴隷制を決して容認しなかった。彼らの間には真の愛と尊重が根付いていた。

・大祭司会は、他の大祭司や祭司たちと相談の上、トーラ(律法)を解釈し直した。彼らは、聖堂で行われる「いけにえ」の行為が不純で時代錯誤なものであると宣言し、あらゆる種類の残忍な行為を禁じた。

・彼らは、いつどこにいても慈悲深き愛にあふれたアラーハを崇拝した。

・すべての宗教上の礼拝儀典、讃美歌、感謝の祈りは、完全に作り直された。これらの改革はクムラン(メツァド・ハシディーム)のセカカにあったエッセネ派修道院で行われた。

※メツァド・ハシディーム(Metzad Hassidim)は、紀元前2世紀~紀元後1世紀に死海北西湖岸上に位置するヒルベト・クムランに存在したと言われているユダヤ教エッセネ派神秘主義教団(クムラン宗団とも呼ばれる)を指している。メツァドはアラム語で隠れ家や要塞を意味し、ハシディームは敬虔主義または神秘主義と呼ばれている。1947年クムランの洞窟で死海文書が発見されている。




エッセネ派の慣習
・自分の子の頭を白い布で覆い、身体に白い衣服を着せてエッセネ派の聖堂につれて行く。
・「天の白い鳩」
・「白衣の結婚」
・過越しの祭のときはエルシャレイイムのエッセネ派の聖堂に行く

第2章 「神-人」ジョシュア・イマヌエルのエッセネ派の家族 - たっちょ

2017/06/11 (Sun) 08:54:11
*.so-net.ne.jp

2000年前(正確な数字が知りたいところ)

(登場人物)
ヨアキム (エッセネ派の最高位祭司)
ハンナ  (シャマオンの妹)
シャマオン(エッセネ派高位祭司、預言者、律法学者、聖書の筆写者)
エリザベス(ヨアキムとハンナの長女)
ザカリアス(エッセネ派祭司)
 ヨハナン(洗礼者ヨハネ エリザベスとザカリアスの子、無原罪懐胎)
ミリアム・シャローメ(ヨアキムとハンナの次女)
シャバタイ(エッセネ派の漁師)
 ヤコブ  (使徒ヤコブ)
 ヨハナン (聖書の著者、聖ヨハネ、無原罪懐胎)

ヨセフ(エッセネ派大工、男やもめ)
 ヨサファット(ヨセフの息子)
 シモン
 ユダ
 エステル(ヨセフの娘)
 ヤコブ (使徒ヤコブ)
 タマル
マリア(ハンナが無原罪懐胎で生む。天の白い鳩)

------------------------

それにしても聖書の登場人物は名前が同じ人ばかりで混乱しますね。

イエス以外にも無原罪懐胎したのが「マリア」「洗礼者ヨハネ」、「使徒ヨハネ」ということに注目。

マリアがエリザベス、ミリアム・シャローメの妹ということも驚き、親戚だと思っていた。

ヨセフの子ども6人は先妻の子ども
そのうちの一人、使徒ヤコブはマリアより6歳年下

ヨセフはマリアを自分の娘の1人として守護する役割というのも新情報(エッセネ派の慣習 白衣の結婚)、息子3人はすでに結婚しているあたりかなりの高齢と推測できる。

一番の驚きは使徒ヤコブって大ヤコブ、小ヤコブといって2人いるけど、小ヤコブの情報はほぼ無い中、ヨセフの子どもだと断定されていること。腹違いではあるがこれはイエスの兄ということになる。
確かアルファイの子といった感じで聖書の中には書かれていたはず。


年齢とかも細かくチェックして逆算したりしたけどイエスの誕生年数はわかりませんでした(笑)
よくイエスの誕生はBC4とか言われるから真相が知りたかったけど、ダスカロスはあえて伏せてる感が否めませんね。(モーセの誕生年数は断定していたりする)

聖書を深く学ぶものならこういった部分は実に驚愕的だと言える。後で深く検証しましょう。

第3章 キリスト降誕 - たっちょ

2017/06/11 (Sun) 09:53:28
*.so-net.ne.jp

マリア15歳 大天使ガブリエルのお告げ

ベツレヘム(パレスチナのヨルダン川西岸地区南部)でジョシュア・イマヌエルを処女受胎で生む。


<東方三賢者>
従者を連れた3人の王、9頭のラクダ、3頭の馬

・マハラジャ ラーマ・タバイバハーン

・アルメニア王 ガスパール

・ベドウィンのシャク・バールーダスーアウスザール



マハラジャ ラーマ・タバイバハーンの行動
 子どもに近づき、紫色の王の衣をとり、ゆりかごの周りに掛ける
 自分の剣を抜き、右足を腰掛けの上にのせ、剣を太ももに押し付けて2つに折った。
 その2つに折れた剣を神の子がおかれている飼い葉桶風のゆりかごの下に置いた。
 そして、彼は「主よ、御足のもとに、すべての力と権威あれ」と言った。
 マハラジャは立ち上がり、子どもを見降ろしながら感嘆の声で「私は神を見た!」と言った。

それはサンスクリット語で“Ham El Khior(ハム・エル・キオール)”
その時以来、マハラジャ ラーマ・タバイバハーンは「メルキオール」と呼ばれるようになった。


アルメニア王ガスパールは、従兄弟のマヌシャック王子とともに、神の子にひざまずきこう言った。

「主よ、全能なる方の子よ、あなたの輝く星が私たちをここへお導きになり、あなたの神聖なる霊威の前で私達自身をより慎み深くしてくれました。主よ、愛の神よ、私たちに憐れみをお与えください。そして、人類に救いをもたらして下さい。戦争がなくなりますように、流血がなくなりますように。地上は既にあまりにも多くの人々の血によって深く汚されています。主よ、もうこれ以上陰謀や暗殺が起こりませんように。私は双子の兄弟ディクランに全ての権限を委譲し、彼に仕えることを心に誓約しました。おお主よ、私たちを平和にお導き下さい」

My Lord, Son of the Almighty, you guided us here with your bright star to humble ourselves before your Divine Majesty. My Lord and God of Love, have mercy on us. Have mercy on mankind. No more wars, Lord. No more bloodshed. The Earth is already so deeply stained with human blood. Let there be no more conspiracies, Lord, no more assassinations. I have given my power to my twin brother, Dikran and I have pledged myself to serve him. Guide us, oh Lord, to peace.


ベドウィンのシャク・バールーダスーアウスザール(オシリス神の僕)
ベドウィンの王、占星術師、バルタザールはエジプトの神オシリスの家臣を意味する)
シャクは、彼の随行者とともに聖家族に近づき、神の子の前で頭を下げ敬意を示し、彼らの父イブラヒムの神で、唯一神であるアッラーの栄光を讃えた。

-------------------------------------------

東方三賢者はメルキオール、ガスパール、バルタザールで有名ですね。ここでは彼らの本名や素性が明らかにされていることが驚き。

そして重要なのは彼らの行動や台詞だろう。

第4章 エジプトにおける聖家族 - たっちょ

2017/06/18 (Sun) 20:00:28
*.so-net.ne.jp

エルシャレイイムの郊外にあるエッセネ派の共同体にて
シャマオン(エッセネ派の預言者、高位祭司)がキリストに割礼を施し、ガブリエルに導かれたように“ジョシュア・イマヌエル”と名付けた。

シャマオンの台詞(アラム語)
「今、私の心が喜びに溢れているように、親愛なる皆様も共に喜んで下さい!神である聖霊が皆様と共にありますように。ルアーク・エロヒムとズェール・アンピンは、皆様にベニ・アラーハをご紹介する栄誉を私にお与えくださいました。シャダイ・エルに栄光がありますように」

(アラム語)
ルアーク・エロヒム(Ruach Elohim) 神の霊
ズェール・アンピン(Zauir Anpin)絶対なる永遠の存在性、ロゴス
ベニ・アラーハ(Beni Alaha) 神の子
シャダイ・エル(Shaddai El) 全能の神

「この聖堂で育てられた『天の白い鳩』、無原罪マリアの子であるジョシュア・イマヌエルは、待ち望まれた人であり、マシーハ(メシア)です。私は皆様にベニ・アラーハであるマシーハをご紹介します。イスラエルの狂った王ヘロデは、今この瞬間にベツレヘムの街やその近郊に住まう生まれたばかりの罪のない男の子を殺すことにより、天の王を抹殺できると思っているのです。私はこの家族にパレスチナを離れるように助言しました。そして私たちの兄弟のいるエジプト、ヘリオポリスのエッセネ派の共同体へ行くように言いました。そこにいる大祭司ナタニエルは、ベニ・アラーハに安全な避難所を与えられることに大きな栄誉を感じることでしょう。ヨセフとマリアは今すぐに出発しなくてはなりません。彼らを安全に送り出しましょう」


幼子ジョシュアの特徴
泣くこともなく、ぐずることもなかった。
騒ぐことも怒ることもまったくなかった
いつも穏やかで静かで、誰にでも癒しの微笑みを絶やさず、周りの人々を助けたり元気づけたりする準備が整っているようだった。
病人や苦悩者、深刻で不治の病の者であっても、幼子のタッチでいつも癒されていた。

2歳児のジョシュア
鳥、アヒル、カメ、ジャッカル、ヤマネコ、毒蛇などが神の子と遊ぶために庭に入ってきた。マリアは自分の幼い息子が何ものからも傷つけられないことを知っていたので、彼が庭で野生の生き物たちと一人で遊んでいても決して心配しなかった。一度、危険だと感じた祭司が毒蛇を殺してしまうが、ジョシュアが癒してしまった。

聖堂の祭壇に置いてある重い十戒が書いてある石版や燭台を6度、発光する輝く光によって祭壇の左側に移動させた。祭司は驚嘆した。

2歳児ジョシュアの台詞
「十戒はモーセによってイスラエルの民に与えられた禁止令なんだ。だけどエッセネ派にとっては、神の子への穏やかな説得なんだ。だから、主を愛しなさい。あなたの神はあなたの中にいるのです。そして、あなたの神である主は、他の誰の中にでもおられる」

6歳のジョシュア
エッセネ派の学校へ行く。
ラテン語、ギリシャ語、アラム語を学んだ。
トーラとセフェル・イエッィラーを学んだ。

8歳のジョシュア
ジョシュアが祭司たちに教えていた。
セフェル・イェツィラーの解釈、さらに6章と33節を加え、それらについて驚くべきもっとも説得力のある方法で、存在する世界を創造する基本元素の大天使たちの働きについて教えた。
教えの最初と最後に必ず次の言葉を述べた。
「アラーハ・アテ・ギボル・レオラム・アドナイ」
(主よ、力は永遠にあなたのものでありますから)

9歳のジョシュア
祭司エゼキエルの皮膚病を癒す。(この祭司はジョシュアが10歳の時に大祭司ナタナエルの後を継いだ。)
会堂で説教し、エッセネ派の学校で教える権限をもらった。それは遍在し全知全能なるアラーハの本質の下に共同体を導いていくためであった。アラーハとは偉大なる永遠の実在性(Be-ness)であり、ジョシュアの父であり、そして絶対無限の存在であるロゴスである。すなわち、ジョシュアとはロゴスと聖霊の純粋な一条の光である人間としての彼自身を顕しているのである。ジョシュアは彼らにアラーハ・シャダイ・エル(全能なる神)について教え、ゾハール(光輝の書)における智恵の32の道について説教した。彼はトーラに新たな意味を与え、すなわち無限で絶えることのない創造の光(アイン・ソフ・オウル)の本質について解説することにより、律法を完成させた。

10歳のジョシュア
自分の意志で何回も肉体を非物質化したり、再び物質化することができた。

11歳のジョシュア
大祭司エゼキエルに聖堂の祭壇の上にある十戒の石版を左側に置き、ギリシャ語で書かれた二等辺三角形の大理石の石版を祭壇の中央に置くように頼んだ。


私は主であり神である。あなたの神はあなたの永遠の存在にある。主である、あなた方の神を愛しなさい。それは、あなた方の内にある存在であり、あなたの永遠の存在としての自己なのです。そして、あなた自身と同じように他のあらゆる人々にある神を愛しなさい。


こうしてエジプトのヘリオポリスにおける大祭司エゼキエルは、人類への神の言葉を刻んだ新たな石版を至聖所の祭壇の中央に祀った最初の大祭司となった。この神の言葉は11歳の「神ー少年」により、彼の同胞である人間にもたらされた。

11歳ジョシュアの台詞
「私がこの世に来たのは、律法に背いたり廃止するためではなく、律法をさらに完成させるためである。私たちの父の偉大な愛を、彼の全ての子らに明らかにするために、私はこの物質界へ来たのだ」
「エーイェ・アシェル・エーイェ、ベニ・アラーハ、ベニ・メレク(私はあるという者だ。すなわち神の子であり、主なる王の子である)」
「カドーイシュ、カドーイシュ、カドーイシュ、アドナイ・アラーハ、アバ、シャダイ・エル(聖なるかな、聖なる、聖なる主である神よ 父であり、全能なる神よ)」

以後3年間、ジョシュア・イマヌエルは、私たちの霊であり永遠の存在である父の天の国についての教えを説いた。
彼が明かしたことは人間の神聖なる本質、
人間のエゴとしての自己である魂と、
エゴとしての自己である霊であり永遠の存在に関すること、
さらにこの霊と魂の永遠なる生命に関すること。

彼はエッセネ派の人々に神である彼らの天なる父を愛すること、そして彼ら自身と同じように、他のあらゆる人々を愛することを教えた。

12歳のジョシュア
イスラエルの狂王ヘロデがエルシャレイイムで死に、パレスチナのエン・ナーサル(ナザレ、アン・ナースィラ)に戻った。

----------------------------------------------
イエス・キリストの幼年~少年時代は謎が多いので重点的に記録しておきました。


それにしてもこの章では何度も「祭司」と「司祭」が混同されている。チェックできてませんね。P44の「ロゴスある。」とかも誤字でしょう。ミスが相変わらずです。原文では Rabbi ラビ これは祭司のこと。当時の祭司たちが使っていた言葉はアラム語(セム族の言語、イエスの誕生前後1000年以上にわたり、地中海から中国の万里の長城まで広く普及していたリングアフランカ(混成語であり国際共通語)

あと気になることがあります。
原書(英語版)ではZauir Anpin のアラム語用語集では
Aramaic:Absolute Beingness, Logs
と書いてあるだけなのに
日本語訳では
絶対なる永遠の存在性、ロゴス、モナド。
とモナドが追加されています・・・変だなぁと調べたら発見しました。どういう意図があって追加してるんでしょう?

セフェル・イェツィラーとは何か?
 Sepher Yetzirah 霊的領域の神聖なる動的システムに関する古代ユダヤ人による専門書で、創造の書、あるいは形成の書と呼ばれている。

ジョシュアはどういう驚くべき説得力のある方法で教えたのだろう?
ゾハール、トーラについての理解もしておきたいところ。

 ゾハール(Zohar) 一般的に「光輝の書」と呼ばれ、ユダヤ神秘思想、すなわちトーラの註解書
 トーラ(Torah) モーセ五書(旧約聖書の最初の五書)を含むユダヤ教の神聖なる指導書、すなわち神YHVHの法則

ジョシュアが物質化した二等辺三角形の石版は今もエジプトのどこかにあるんでしょうか?

ダスカロスはこの章に出てくるようにアラム語、ギリシャ語、そして古代エジプトのヒエログリフ、シンボルオブライフを理解していることは明らかですね。そして原書は英語で書かれています。

第5章 聖家族、パレスチナへの帰還 - たっちょ

2017/06/20 (Tue) 08:50:26
*.so-net.ne.jp

聖家族がエジプトに住んでいた期間は11年。
ヨセフ、マリア、ジョシュアはエン・ナーサル(ナザレ)に帰郷する。

ジョシュア12歳
ヤコブ22歳(ヨセフと前妻の子)
ジョラム14歳(ヨサファットの子ども)

新しいヨセフの家で共に暮らしたのは
ヨセフ、マリア、ジョシュア、エステルとヤコブ、そしてヨセフの義理の母サラ

エジプトから帰郷して2か月後、聖家族はエッセネ派の慣習に従い、過越の祭りのためエルシャレイイムのエッセネ派聖堂へ行った。そして、ジョシュアはエッセネ派大祭司エフライム、祭司、長老たち、律法家たちに会いに行った。彼らはヘリオポリスでジョシュアが行った多くの不思議な出来事を聞いていたのでジョシュアが来るのを切望していた。

ジョシュアの台詞 ギリシャ語とアラム語
Shalom - Kodoish,kodoish,kodoish Aton-ai Alaha, Shaddai El.
シャローム カドーイシュ、カドーイシュカドーイシュ・アトナイ・アラーハ、シャダイ・エル
平和が皆さんと共にありますように(挨拶)- 聖なるかな、聖なるかな、聖なる主である神、全能なる神よ。

服装は修練者のように純白の丸いリネン製帽子、くるぶしまであるゆったりとした白いローブを身につけていた。

ジョシュアは彼らの心を読み、一人一人の思いに答えていった。そして彼は人間の知性では理解が困難な「セフェル・イェツィラー」の一部を不思議なくらい明快に説明した。また、天地創造における聖なる基本元素の大天使たちの働きについて彼らに明らかにした。病に苦しんでいた者たちはジョシュアによって癒され完全に健康になった。

マリアにとってもこの旅は大きな喜びだった。
彼女は3歳から13歳まで叔父の大祭司シャマオンと暮らしていた場所だったからだ。

マリアは3か月に1度、3~4日ほどジョシュアをエルシャレイイムに連れてくることを大祭司エフライムに約束した。ナザレからエルシャレイイムへの旅はエッセネ派の人々が商用で頻繁に荷車を通わせていたので難しいものではなかった。

ジョシュアは12歳の時からヨセフの大工の仕事を手伝い、3か月に1度、エッセネ派の聖堂や礼拝堂で教えを説いた。彼が16歳になる頃には時に一人で行くこともあった。彼はエッセネ派のラビ・アサ(ヒーラー)が身に着ける白いローブをいつも着ていた。エフライムはジョシュアが神の子であることを確信し、彼を敬愛していた。


-------------------------------------
ルカ2章39~50ではジョシュアの少年時代について唯一聖書に描写があるところなのだがその他は一切不明だったと言える。

僕が思ったことは、
彼には一般的な「修行」のようなものを必要としなかったことは明らか。神そのものの力を生まれながらにして持っていたので当然だけど。そして自らがメシアであることを周りの人々に認めさせていく過程は興味深いですね。周りの人々の反応、心の変化も注目すべき点でしょう。

他に気になったのは、
ナザレのエッセネ派は人口は他に比べるとかなり低いこと(人口の5分の1)。通常の人間は自分たちの支持者が多い所にいたがるものですが、ジョシュアはあえてこういった自らにとって不利な場所を選んでいたんじゃないかなって思いました。神の子にとっては地理的な条件、有利不利など関係ないことなので。真の実力者の行動といった感じですね。

後、重要なのは「白」だったことでしょうか。
ダスカロスたちが儀式を行ったりするときは白いローブを着用したと聞いていますが、これはエッセネ派の慣習だったんでしょうね。

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
アイコン
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.