The Researchers of Truth

たっちょのブログ

ダスカロス用語 - たっちょ

2010/09/04 (Sat) 15:24:37
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マインド
(解説1)
まだ顕現していない絶対が自分を表現する方法。
マインドはすべての宇宙やすべての次元の存在をつくる超物質。

(解説2)
「マインド」は、あらゆる生命の担い手である。
存在するすべてのものは「マインド」からできていて、
その振動数の違いによって「超素材(マインド超素材)」、
「素材(マインド素材)」、「固体」と形態を変えているにすぎない。
「マインド」は絶対存在から放射されたもので、全なる愛、全なる智恵、全なる力、
そして創造主の純粋性が吹き込まれている。「マインド」が永遠に生きるわけではなく
、すべての創造において永遠に使われる素材なのだ。「マインド」の源は神聖なる絶対存在にあり、
その表現である形態は聖なるものである。

(解説3)
この宇宙に存在する、ありとあらゆるものを構築するための大元となっている「聖なる素材」のこと。
「絶対なる存在」から放射される。波動の高いものから低いものまで様々である。
振動がもっとも遅い(波動が低い)マインドは、「マインド固体」と呼ばれ、これは物質のこと。波動が高くなると順に「マインド物質」や「マインド超物質」となり、それぞれ感情や理性として使われることとなる。文脈によっては、これらすべてを「マインド物質」と総称することもあるので注意。我々はこの「マインド」を使って、日々創造活動を行っている。

<追記>
すべての物質はマインドが様々な形を取った波動。
マインドは絶対ではなく、それは形を持たない絶対が自身を形にする手段。
マインドは宇宙を創る超物質。そして、死んでいる物質などは存在しない。

エレメンタル - たっちょ

2010/09/05 (Sun) 11:33:46
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(説明1)
思考・想念が形をとったもの。どんな感情でも想念でも、人間がつくり出したものはエレメンタルである。それはつくり出した人間から独立して、自分の姿と生命を持つ。

(説明2)
人が心に抱く想念、願望、欲望、感情、思考はそれぞれすべてエレメンタルである。特有の形とエネルギー、そして知性をも備えている。想念体と訳されることもある。風・水・火・地という四大元素すなわち四つのエレメントから構成されているために、エレメンタルと名づけられている。ただしここで言う四大元素とは物質次元に限らず、宇宙のあらゆる次元に存在しているものである。いったんつくり出されたエレメンタルは絶対に消えることはない。そしていつの日か必ず、つくられた時に設定された目的を達成する。エレメンタルの性質をよく理解し、上手に扱うことが大切である。

(説明3)
あらゆる思考・感情・欲望は、“想念形態”と呼ばれる「エレメンタル」をつくり出し、「エレメンタル」はそれぞれ特有の形態・エネルギー・知性を持つ固有の存在として生き続けることになる。私たちは「欲望→思考型」と、「思考→欲望型」という、2つのタイプのエレメンタルをつくり出したり、蘇らせたりしている。理性的な思考ではなく、主にネガティブな感情から欲望を抱く時に生じるのが、感情的な想念形態である「欲望→思考型」エレメンタル。
いっぽう、私たちの思考・感情・欲望が理性と愛を通して
現れる時に生じるのが、理性的な想念形態である「思考→欲望型」エレメンタルだ。どちらにしても、いったん生じたエレメンタルは絶対に消すことができない。
したがって、ネガティブなエレメンタルをつくってしまった場合に出来る事は、エーテル・バイタリティーを与えずに、エレメンタルを弱体化させることしかない。また、同じ種類のエレメンタルは集まって強力なグループ・エレメンタルを形成する性質があるので、個人であれ団体であれ、同じような振動数の場合は、こうしたグループ・エレメンタルを引きつけることになる。ちなみに、大天使は神聖なる計画を遂行するために、さまざまな自然界の精霊や天使といったエレメンタルを創造している。

(追記1)
すべての想念と欲望はサイコ・ノエティック・エネルギーによって充電されたものであって、環境に投影される。つまり、このようなエレメンタルがいったん外に放たれると、自分独自の形と実体を持つようになる。エレメンタルは同じ周波数で波動する人たちに影響を与えることも、そのエレメンタルをつくり出した人にも影響をもたらすこともできる。
人は自分が絶えずつくり上げているエレメンタルとつながりを持ち、それらに対して責任がある。したがって、どのような想念や欲望でも、つまりどのエレメンタルでも、私たちが外側に向けて投影した後、今生か来世に自分の元に戻って来る。こうやってカルマの法則が働く。

(追記2)
エレメンタルは、形も力も自分が果たすべき目標を達成するまでは消えない。だからこそ、私たちは自分の考えや行為の結果に面と向かう用意がなくてはならない。エレメンタルはこの人生においてだけではなく、後に来る輪廻を通してずっと付いて回る。したがって、エレメンタルをつくる者は、遅かれ早かれ、自分自身が創ったエレメンタルと対面する時が来る。
以前につくられた状況の影響を、今現在、回避できるのだろうかと思うかもしれない。それはできる。つくったエレメンタルと同等な力を使えばね。しかし、過去に犯した過ちを正す知恵と、そうしようと欲することが必要だ。私たちは古いエレメンタルの影響をはねのけることも、似たようなエレメンタルをつくって古いエレメンタルを力づけ、それに負けてしまうこともある。

(追記3)
エレメンタルの研究は、この地球上におけるわたしたちの生活において、間違いなくもっとも大切なことです。わたしたちはそのことを教えています。この地球上に生きる誰もが関心を持つべき、最も重要なことなのです。
・どのようにしてエレメンタルは作られるのか
・その性質や力やエネルギーはいかなるものか
・それらはどのように振る舞うのか
・これらのエレメンタルはどのようにしてエゴイズムを作り上げるのか
・観察や瞑想、集中によるエレメンタルの学び方とはいったいどのようなものか
・そうしたエレメンタルを徐々に弱体化させていくにはどうしたらよいか
こうしたことを学び終えて、ついには、わたしたちは故郷であるこの星のマスターとなるのです。

絶対存在/絶対無限の存在/神/父/主 - たっちょ

2010/09/13 (Mon) 20:08:31
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(説明1)
いずれも同じ意味で使われる。「絶対存在」や「神」に代わるどの表現も、また、どの用語に男性代名詞を使っても、性別はない。「神」とは全てであり、ありとあらゆるものである。

(説明2)
絶対的に存在しているもの。「神」(God)とほぼ同義と考えてよいが、「神」という言葉の指す内容は実際には人によって様々であるため、ダスカロスはみずからの教えの体系の中では、「絶対無限なる存在」あるいは「無限なる存在」という表現を好んで使っている。なお、「絶対なる存在」、「ロゴス」、「聖霊」は三位一体をなし、三つの側面を持つと同時に一つでもある。

(説明3)
私たちは「神」について、自分が見たり感じたりする範囲でしか理解することができない。しかし、何よりも「絶対無限の存在」とは、その内部にあるすべての存在の神聖な共通の自己といえるだろう。愛、光、生命は、全なる愛、全なる智恵、全なる力といった「絶対存在」の本質に属している。神の愛は普遍的であり、絶えることのない、無条件のもの。神の愛は恩寵として表現され、天地創造の中心にある。その光は純粋にして輝く超自己意識であり、終りなき生命は永遠の運動にして、発生と再生を繰り返す神の表現といえる。遍在する絶対存在の特質としては、その他に多重性、自己充足、そして天地創造により自らを自らの中に表現する意志の喜びなどが挙げられる。「絶対存在」は自らをロゴス、聖霊として顕し、新約聖書、ヨハネの手紙1-5章7節にあるように「この三者は一致しています」(三位一体)。」

ロゴス(Logos) - たっちょ

2010/09/14 (Tue) 23:55:18
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(説明1)
絶対の一部で、自己意識と自由意志を可能にする部分。永遠の存在として、人間はロゴス的でもあり、かつ聖霊的でもある。動物には聖霊的な性質しかない。イエスはキリスト・ロゴスとして、絶対の持つロゴス的な性格の最も完璧な表現である。人間の霊性の次元が高まるほど、ロゴス的な部分が強くなる。

(説明2)
「絶対なる存在」、「聖霊」と並んで、三位一体の一要素。「絶対なる存在」が「自己ー超意識」として表現されたもの。イエス・キリストは「ロゴス」が完全な形で地上に現れたもので、「ロゴス」という言葉がイエス・キリストそのものを指すこともある。ヨハネによる福音書の冒頭には「言」について記されているが、「言」に対応するギリシャ語の単語は「ロゴス」である(新約聖書はギリシャ語で書かれていることに注意)。

(説明3)
神聖なる共通の自己性である「ロゴス」は、超自己意識として現された絶対存在である。「ロゴス」と「言葉」を意味するギリシャ語で、新約聖書、ヨハネによる福音書1章1節には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあるように、ロゴスは「まことの光で、世に来たすべての人を照らすのである」(新約・ヨハネ1-9)。ちなみにジョシュア・イヌマエルが「私は神の子である」(新約マタイ27-43)という時はロゴスとして、「私は人の子である」(新約・マタイ24-30)という時は、ジョシュアとして話していた。

ジョシュアは、二千年以上前にパレスティナで、ロゴスからの直接的で純粋な光として、処女懐胎で肉体を与えられた。新約聖書に保存されている彼の神聖なる教えは、意識の進化に計り知れない導きを与え、私たちが生きる普遍的で永遠なる道で大切にされてきている。

※イエス・キリストは当時、アラム語で「ジョシュア・イマヌエル」と呼ばれていた。「イエス」はアラム語「ジョシュア」のギリシャ語読みから来た表記であり、「キリスト」は「メシア」(油注がれた者)を意味する称号。
神―人とは、神がそのまま地上に降りてきて人間となったことを表す言葉。ダスカロスによれば「神―人」はジョシュア・イマヌエルただ一人であり、その他のマスターたちは地上で転生を繰り返す中で意識を高め、神と一体化した「人―神」である。

※2
ヨハネによる福音書第1章1節「ロゴスは権威の中にあった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった」ギリシャ語による聖書の原典から翻訳。一般的な聖書の訳では「はじめに言葉ありき」と訳されているが、ギリシャ語の"apxn"には、「はじめに」と「権威」という両方の意味があり、ダスカロスはこのように訳した。

聖霊 - たっちょ

2010/09/16 (Thu) 22:22:01
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(説明1)
絶対の存在の力を表現する非個人的な超意識であり、宇宙の創造を可能とする。絶対のダイナミックな部分。

(説明2)
「絶対なる存在」「ロゴス」と並んで、三位一体の一要素であるが、自己という意識のない「超意識(永遠の存在性における完全な認識のこと)」のことである。「聖霊」の作用により、創造が可能となっている。我々は普遍的な智慧として、あるいは癒しの力として、「聖霊」を体験する。

(説明3)
絶対存在が全能であることを表現し、宇宙の創造と維持を可能にしている「非人格的な超意識」のこと。全なる智恵・全なる力としての絶対存在の動的な側面の顕れ。私たちは、「聖霊」を、普遍的な智恵、ヒーリング・パワーとして経験している。

カルマ(原因と結果の法則) - たっちょ

2010/09/20 (Mon) 10:03:07
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自分が蒔いた種は、遅かれ早かれいずれ必ず自分で刈り取ることになる、という法則のこと。

「原因と結果の法則」は神秘主義者だけでなく、科学者にも認知されている法則。この成長・調和・バランスをもたらす神聖なる法則は、作用(原因)に対して、必ず何らかの反作用(結果)を引き起こす。つまり、あらゆる行い・思考・感情は、良かれ悪しかれ何らかの結果として戻ってくる、ということだ。東洋で知られる「カルマ」と言う言葉は、こうした「結果」の総計を意味する。ただし、東洋の宗教ではしばしば「カルマ」という言葉を使い、この法則を決定論的な観点で教えているが、私たちは他の人の“借り”を引き受けることも、あるいは悔い改めや償いによって超越することも可能だと信じている。この指導的な法則は短い期間だけでなく、3次元の物質界を超えて、いくつもの転生にわたって作用し続ける。

悔い改め - たっちょ

2010/09/23 (Thu) 11:20:56
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ギリシャ語で「悔い改め」を意味するメタニアという言葉には、「心の変化」「理解力の変化」といった意味も含まれる。つまり「悔い改め」とは単に悲しみ悔やむだけでなく、気づきという理解、心の変化によって根底から誤った原因を分析し、より積極的に「同じ過ちを繰り返すまい」と決心することを意味する。それは、私たちの思考・感情・行いを神聖なるものと一致させる方向に進路を修正する、ということである。

自己意識・自己超意識 - たっちょ

2010/09/24 (Fri) 22:00:53
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(説明1)
ダスカロスの教えの中では、「自己意識(Self-Awareness)」とは、真実の自己に目覚めた意識のことを指す。わたしたちが通常、自己と考えているものは、ダスカロスの言葉では「現在のパーソナリティ」に当たるもので、「自己意識」ではない。「自己超意識」とは、この「自己意識」の意識が完璧なまでに高められて、「神我一体」となった状態を指す。

(説明2)(Self-Consciousness,Supper Self-Consciousness)
霊-エゴ-存在の状態から現在のパーソナリティーまで、私たちの個別化された自己性である様々な段階にある意識を言う。真剣に内省や瞑想などの努力を重ねることによって、「自己意識」は絶対存在からその表現である一時的な存在を含む全認識、つまり「超自己意識(=テオーシス)」へと拡大することもできる。

魂―自己意識(Soul-Self-consciousness)
自己実現に到達した意識段階を指し、「私は私である」(I am I.)の状態である。すなわち、現在のパーソナリティーである自分が真実の自己である「内なる自己」と統合され、「自己認識―魂」と一体化した状態を言う。

魂―超意識(Soul-Superconsciousness)
絶対存在から一条の光が「霊―自己―超意識」として、人間のイデアを通過すると同時に与えられる魂を持った人間形態としての超意識を表す言葉。

霊―自己超意識(Spirit-Self-Superconsciousness)
人間の存在に関わる三つの表現の内の一つで、永遠の存在を表す言葉。これ以外に、人間のイデアを通過し、永遠の存在でもあり、一時的な存在でもある「魂―自己超意識」と一時的に存在する「現在のパーソナリティー」がある。自己認識の道を歩む人間が、絶対存在との一体化(アットワンメント)によって到達できる最も高い意識段階である。

神との一体化(At-One-Ment)、テオーシス(Theosis) - たっちょ

2010/09/24 (Fri) 22:02:31
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(説明1)
自己が輪廻転生を繰り返し物質界の経験を全うした後、最後の進化過程で経験する神との一体化。

(説明2)
唯一の神である絶対存在との一体化であり、私たちの究極的な到達点。放蕩息子が今、超自己意識を得て、彼が最も愛する父のもとに帰った、その瞬間。

(説明3)
永遠の存在が自己意識を維持しながら、他のあらゆる永遠の存在もしくは一時的な存在と完全に一つに融合する超自己意識の状態。絶対存在と一体化することを「テオーシス」という。


一体化/アットワンメント(At-one-ment)
 超自己意識のレベルに到達し、永遠の存在である人間が他の永遠の存在や一時的な存在と完全に1つに融合することをいう。そして、「自己意識-エゴ」を捨てることなく、絶対存在と一体化することを「テオーシス」という。

霊-エゴ-存在(Spirit-Ego-Being) - たっちょ

2010/09/24 (Fri) 22:07:10
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(説明1)
神聖なる永遠の存在としての私たちの自己であり、広大無辺かつ永遠で、不動のもの。私たちの「霊-エゴ-存在」は、聖なるモナドとしての自己であり、超自己意識性と発光性をもっている。そして、神の自己充足性と多重性とに一体化した中にある。ご自身の中にご自身を顕している絶対存在の意志の喜びは、自分の自己性の中に自身を現す、私たちの「霊-エゴ-存在」の意志と同じものである。

(説明2)
私たちの真実の自己である霊-エゴ-存在は、絶対存在の多重性および自己充足性一体化しています。
霊-エゴ-存在は、それ自身から放射された一条の光を天地創造の中に投影しているので、自身を自身の中に顕す絶対存在の意志の喜びは、霊-エゴ-存在の意志の喜びと同じものです。
このことからも、霊-エゴ-存在は、正確には自己性の表現ではなく、自己性の創造者だと考えるべきでしょう。

(追記)
絶対存在の多重性および自己充足性と一体化している、私たちの本当の自己。霊―エゴ―存在は天地創造の中に、それ自身である一条の光を投影します。ご自身をご自身の中に表現する絶対存在の意志の喜びは、みずからの中にみずからを表現する霊―エゴ―存在の意志の喜びと全く一同じです。霊―エゴ―存在は、正確には自己性の表現とは考えられていません。それはむしろ自己性の創造主といえるでしょう。

魂(Soul) 自己認識―魂(Self-aware) - たっちょ

2010/09/26 (Sun) 12:36:27
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(説明1)
地上の経験に染まらない私たちの純粋な部分。魂は人間のイデアを超えており、つまり、すべての表現された存在を超えている。生まれたことがなければ、死ぬこともない。私たちの中で絶対と同質的な部分である。魂は私たちの聖なるエッセンスであり、不変であり、永遠である。

(説明2)
聖なるモナドの一条の光が天なる人間のイデアを通過すると、1つの魂が形になる。「魂」(自己認識-魂)はつくられたものではなく、霊からもたらされた小さな「真珠」(新約、マタイによる福音書13:45~46)のようなもの。聖パウロが「霊の体」(新約、コリント一、15:44)と呼んだ不滅の魂は、霊として形の無い状態だが、人間のイデアを保っている。そして、神のもとへ戻る時、魂は花嫁が花婿と結婚するように(新約、マタイによる福音書25:1~10)超自己意識の状態にある「霊―エゴ―存在」と“結婚”すなわち一体化する。

(説明3)
霊-魂
「霊」(Spirit)が大天使の「イデア」と人間のイデアを通過することにより、「魂」(Soul)となる。「霊-魂」とは、これら二つの存在の在り方をまとめた包括的な用語である。

(追記)
霊―エゴ―存在の一条の光が人間のイデアを通過した瞬間、私たちは自己認識―魂となります。その時点で私たちは”自己”を完全なものとして理解し、同時に全体から分離されたように感じる状態になります。この投影である、自己認識―魂は”永遠の存在”であり、同時に”一時的な存在”でもあります。私たちの真の本質である”永遠の存在”は出発点であり、”一時的な存在”はその延長線上のもう一つの到達点だと言えるでしょう。この先端は常に経験と成長の世界に投入されています。

聖なるモナド(Holy Monad) - たっちょ

2010/10/02 (Sat) 17:53:28
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(説明1)
絶対の構成部分。各々の聖なるモナドが、無数の光を放ち、それが様々な原型を通って現象的な存在の形をとっていく。そのような光が人間のイデアを通る時、人間の人格が形成される。同じ聖なるモナドに属する人間たちは、互いに引かれ合う。

(説明2)
「霊-エゴ-存在」としての私たちの本質であり、真のアイデンティティー。1つの「聖なるモナド」は、絶対存在の多重性と自己充足性の内にある、無数の細胞の1つと考えられる。神聖なる愛は絶対存在であるので、それは「聖なるモナド」の本質でもある。

永遠のパーソナリティー(Permanent personality) - たっちょ

2010/10/03 (Sun) 08:29:16
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(説明1)
輪廻転生した経験が記録されていて、来世に伝えられる私たちの一部分。内在する自己

(説明2)
分離の世界や、それを超えた世界における、魂の活動的で表現豊かな部分をいう。「永遠のパーソナリティー」は現在のパーソナリティーと情報をやりとりして、それらの情報を濾過し昇華することで智恵として蓄えている。

(説明3)
人間の「魂」が時間と空間の世界にみずからを投影することにより作られたもの。この「永遠なるパーソナリティー」が、特定の時空間座標の中へみずからを投影すると、「現在のパーソナリティー」が作られるが、これは人の一つ一つの転生に対応する。「現在のパーソナリティー」が得た経験や知識は、「永遠のパーソナリティー」に持ち帰られる。「永遠のパーソナリティー」は何百という数の「現在のパーソナリティー」を統合した存在であり、時間と空間を超越している。「現在のパーソナリティー」の意識が高まると、「永遠のパーソナリティー」に近づいていく。

(追記)
ある人が「魂の足」と言ったように、この自己は空間・場所・時間の世界における自己認識―魂(私たちの内なる自己)の表現であり、それと合体したものです。永遠のパーソナリティーには神聖なる法則、全なる愛、全なる智恵、全なる力が含まれています。その任務は、一時的パーソナリティーがどのような人生を生き、どのような経験を得るか選択し、監督することです。こうしたプロセスを通して永遠のパーソナリティーは善性を積み重ね、少しずつ完全へと近づいていくのです。

現在のパーソナリティー(Present personality) - たっちょ

2011/03/19 (Sat) 07:28:39
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(説明1)
普通、個人の人格として知られているもの。ノエティック体、サイキック体、肉体で構成される。現在の人格は私たちの一番低いレベルでの表現であり、絶えず進化過程にあり永遠の人格と一つになろうとする傾向を持つ。

(説明2)
転生ごとに成長していく、いわゆる「ジョージ」や「メアリー」などと呼ばれるパーソナリティーのこと。分離の世界における「永遠のパーソナリティー」の投影である。この小さな自己は五感から得られる情報にとらわれ、そこから派生するエレメンタルの総計に等しい。「現在のパーソナリティー」の学びは、謙虚で道徳的で、愛に満ちた人格を養うことにある。

(説明3)
「一時的なパーソナリティー」とも表現される。
人が個々の転生において表現する人格、特質、人間性のことで、「太郎」、「花子」といった特定の名前が付けられているもののこと。過去生から持ち込んだエレメンタルの総合計として、この分離の世界に現れたものでもある。多くの人が普段意識している「自分」とは、「現在のパーソナリティー」である場合が多い。肉体、サイキック体、ノエティック体で構成されている。したがって五感を備え、感情を持ち、思考しているのは、すべて「現在のパーソナリティー」である。なお、原語の「パーソナリティー」という言葉の訳語には、「人格」、「性格」、「性質」などがあり得るが、いずれの訳語でも意味が限定されてしまう恐れがあるので、本文では敢えて「パーソナリティー」という原語そのままを使用している。

(追記)
これは現在のパーソナリティーのことであり、単純に、私たちのパーソナリティーだと言ってもいいでしょう。永遠のパーソナリティーが3つの分離の世界とその下位層に投影したもので、さまざまな感情・欲望・嗜好を経験し、個性を形成していく自己の一面でもあります。時間が経つにつれ、このパーソナリティーは自分が受け取った印象を吟味・解釈し、反応を正すことを学びます。また、少しずつさまざまな考えを比較し、洗練された形にまとめ上げる能力を身につけていきます。このような進化のプロセスが精神的負荷を和らげ、私たちをより洗練されたエーテルのレベルに高めてくれるのです。

肉体(Gross material body) - たっちょ

2011/03/19 (Sat) 08:07:03
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現在の自己意識のある人格を構成する三つの体の一つ。人間の物質レベルの体。人格の一部分であり、三次元の物質界に生きている。自己の一番低い表現。肉体の中心は太陽神経叢(みぞおち)のチャクラである。

マインドが最も低い波動数によって固体を形成することで三次元の重い「肉体」ができる。

サイキック体(Psychic body) - たっちょ

2011/03/19 (Sat) 08:25:42
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現在の自己意識を持つ人格を構成する三つの体の一つ。これは感情と感性の体で、その中心的なチャクラはハート・チャクラである。サイキック体は四次元であるサイキック界に生きる。そのイメージはあとの二体、肉体とノエティック体と同じである。

私たちのサイキカル体は、意識的および潜在意識的な感情や欲望の混合によって構成されている。従って、あるものは有益であり、あるものは有害である。

感情体とも言う。感覚や感情、欲望を司っている体のこと。サイキック界(四次元の世界)に存在している。ちなみに、この物質界は三次元。


欲望の誕生を可能とするのはサイキック体そのもの。

ノエティック体(Noetic body) - たっちょ

2011/03/19 (Sat) 08:31:28
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1現在の自己意識のある人格を構成する三つの体の一つ。想念の体。ノエティック体は五次元のノエティック界に存在する。そのイメージは残りの二体と同じである。ノエティック体の中心は頭のチャクラである。

精神体とも言う。思考を司っている。ノエティック界(五次元の世界)に存在している。ノエティック界は分離の世界ではあるが、その中でもっとも波動が高い。


想念とは、ノエティック体が凝縮された状態のもの。

エーテル・センター(Etheric Centers) - たっちょ

2011/03/20 (Sun) 12:39:51
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(説明1)
私たちの3つの体のエーテル・ダブルの各部にあるエネルギー及び、活動のセンターのことで、サンスクリット語では「チャクラ(Chakras)」と呼ばれている。これらのセンターは、エレメンタルの出入り口、そして倉庫としての機能を併せもっている。私たちの肉体のエーテル・ダブルにあるセンターは"教会”と呼ばれ神聖な場所とされ、サイキカル体にあるものは“燭台”と呼ばれサイキカル体に光を与え、ノエティカル体にあるものは“星”と呼ばれノエティカル体上で輝いている。

(説明2)
聖なるディスク。個人のエーテル・ダブルについているサイコ・ノエティック・センターである。人間はチャクラを通して、エーテル・バイタリティー(生命力)を吸収している。神秘家は適切な修行と瞑想のエクササイズを通してチャクラを開き、サイコ・ノエティックな能力を会得する努力をする。透視能力のある人間には、チャクラは回転する輪のように見える。

エーテル(ether) - たっちょ

2011/03/20 (Sun) 12:52:58
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(説明1)
「エーテル」とは、肉体などの体を創り上げるために必要なエネルギー。「マインド」の一種である。

(説明2)
エーテル・ダブルに取り込まれたエーテル・バイタリティーは、「創造エーテル」、「感覚エーテル」、「刷り込みエーテル」、「運動エーテル」と呼ばれる、機能が異なる4種類のエーテルに分かれる。「創造エーテル」によって、私たちの生命現象が組成され維持されている。「感覚エーテル」は、私たちに“感覚”を与え、「刷り込みエーテル」はエーテル・バイタリティーに形を与え、サイコ-ノエティカル・イメージとして具現化させ、「運動エーテル」は私たちの体の動き、活動を可能にさせている。

(1)創造エーテル
 聖霊の意志とその管理下において、すべての生命現象を創造・維持するために使われるエーテル。全なる愛、全なる智慧、全なる力によって導かれている聖霊と聖なる大天使たちは、肉体の機能を創造・維持・管理するために創造エーテルを使っています。脳の組織・目の分泌液・様々な感覚器官・分泌腺の働き・肺・腎臓・腸など、どの器官であれ、肉体のどの部分であれ、じっくり勉強すれば、そこでいかに聖霊と聖なる大天使たちが絶え間なく働いているか、よくわかるはずです。
(2)刷り込みエーテル
 エーテル・バイタリティーでサイコ・ノエティカル・イメージをつくる時に使うエーテル。視覚化のトレーニングには欠かせません。刷り込みエーテルによって私たちはイメージを記憶し、保管することができます。刷り込みエーテルでイメージを記憶すると、それを様々な大きさ・色・デザインで見ることができます。
(3)感覚性エーテル
 感覚を与えるエーテル。私たちは感覚性エーテルによって喜びや痛みの感覚を経験することがでます。感覚性エーテルはまた、刷り込みエーテルと連携して使われます。この2つのエーテルを同時に使用することで、「記憶」という現象が成り立つのです。
(4)運動性エーテル
 動きを可能にするエーテル。血液の循環・呼吸・食物の摂取・消化・排泄・といった自律神経系の制御も含め、無意識の動きも意識的な動きも、すべてこの運動性エーテルを使って行われています。


※これら以外にも3種類のエーテルがあるが、ここでは明かされていない。

エーテル・ダブル(etheric double) - たっちょ

2011/03/21 (Mon) 18:36:24
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(説明1)
人間の三つの体(肉体・サイキック体・ノエティック体)の生命を維持し、三体のつながりを保つエネルギー・フィールド。人間の体のすべての(素)粒子に対応するエーテル・ダブルがある。ヒーリングを可能とするのはエーテル・ダブルのバイタリティーである。宇宙はエーテル・エネルギーで満ちている。それは一人の人間から他の人間に移動でき、チャクラを通して吸収される。

(説明2)
五感で見たり感じたりすることはできないが、人間の肉体の鋳型となっている体のこと。従ってエーテル・ダブルの中には、肉体のいかなる要素にも対応する要素が必ずある。「マインド」の一種である。「エーテル」でできている。なお、人間には肉体の他に、「サイキック体」と「ノエティック体」があるが、これら三つのからだのそれぞれに対応する「エーテル・ダブル」がある。

(説明3)
最も単純な単細胞から複雑な生命体まで、存在するすべての形態のある生物は、やや肉体からはみ出した領域に広がるエーテル・ダブルを持つ。完璧にして不滅のエーテル・ダブルは、3つの体の鋳型であると同時に、それぞれの健康を維持するために機能している。エーテル・バイタリティーは、このエーテル・ダブルの中に貯蔵され、体の各所に分配される。エーテル・ダブルは、3つの体のいずれかが投影されている限り存在し、肉体が死んだ時に始めて肉体のエーテル・ダブルは溶解されるが、他の2つの体のこれは残る。

エーテル・バイタリティー(Etheric Vitality) - たっちょ

2011/03/22 (Tue) 20:57:29
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(説明1)
「エーテル」同様、ある範囲の振動数を持つ「マインド」に他ならないが、呼吸や瞑想、食事や休息によって得ることができる。エーテル活力(バイタリティー)は、太陽からも地球に向かって注がれている。「エーテル・ダブル」の中に取り込まれたエーテル活力は、「エーテル」へと変換される。

(説明2)
私たちの「日々の糧」である「エーテル・バイタリティー(マインド・バイタリティー)」は、ある一定の振動数を持つマインドであり、私たちは呼吸・瞑想・食べ物・休息などを通じて、このエーテル・バイタリティーを受け取っている。エーテル・バイタリティーは、太陽からも地球に注がれている。私たちはいわば燦々と降り注ぎ、地球をすっぽり包み込むエーテル・バイタリティーの海で泳いでいるようなものだ。ただし、ほとんどの人は不調和なライフスタイルによって日々、与えられるエーテル・バイタリティーを使い果たし、それを有効に取り入れて活用することができないでいる。また、私たちの3つの体を含めて、存在しているもののすべては、「マインド・バイタリティー」の鋳型(エーテル・ダブル)の中で組成されている。

イデア(Idea) - たっちょ

2011/04/07 (Thu) 21:26:31
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「元型」とも呼ばれる。例えば「霊」は人間の「イデア」を通過することにより、人間の「魂」に変換される。人間の「イデア」には、人間に関してのあらゆる情報やパターンが組み込まれている。なお、イデアそのものは形を超えた世界、「原因」や「法」の世界に存在している。

原因/イデアと原理(Causes,Ideas and Principles)
絶対存在の意志の喜びは大いなる源であり、すべてにおけるもっとも根源的な「原因」である。天地創造を引き起こしている絶対存在の意志の喜びから、あらゆる従属的な「原因」が湧き出している。そして、原因が元型としての「イデア」を生じさせ、大天使たちがそれを通して創造し、それぞれの存在形態に全なる智恵を適用している。それぞれの「イデア」には、これから形態として現れるための実現性の循環と、将来起こるかもしれない蓋然性の循環も備わっている。このように、「原因」から派生する結果を、空間・場所・時間という条件下において支配しているのが「原理」である。

天なる人間(Heavenly Man) - たっちょ

2011/04/07 (Thu) 21:30:38
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「人間のイデア」とも呼ばれる。私たちの3つの体は、原因の法則の中にある「天なる人間」の形態によって、つくられている。

絶対の中の永遠の原型。聖なるモナドの光が人間のイデアを通った瞬間に人間の存在が始まる。

大天使的人間(Archangelic Man) - たっちょ

2011/04/07 (Thu) 21:37:26
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大天使的人間とは、イデアの一つである。聖なるモナドの放射が大天使的人間のイデアを通過することにより、大天使となる。この大天使がさらに天なる人間のイデアを通過すると、人間の「魂」になる。そういう意味で、大天使は人間と兄弟関係にある。

大天使(Archangel)
「霊」としての「聖なるモナド」が、「大天使的人間」の「イデア」を通過することにより「大天使」となる。この「大天使」がさらに「人」の「イデア」を通過すると、人間の「魂」(soul)となる。そういう意味では人間はすべて大天使でもある。

大天使は聖霊的な存在としてあらゆる世界の創造と維持を担い、全なる智恵と絶対的な自己認識性を有する(ただし、人間のような自己意識を伴う個別性は持たない)。私たちは、基本元素の大天使、オーソリティーズ、セルビム、ドミニオンズ、オーバーローズ、プリンシパリティーズ、セラフィム、トロウンズなどの階級についても称えつつ言及しているが、この修養において語られる大天使の7つの階級は、一つひとつの階級が天地創造に仕える無数の聖なるモナド的な存在で満ちあふれている。また、天使(Angels)とは大天使のエレメンタルである。

創造されたものたちのために働く永遠の聖霊的存在。主な聖霊的な大天使たちは、光と火のエレメントを司る大天使ミカエル、水のエレメンタルを司るガブリエル、エーテル・エネルギーを司るラファエル、そしてその三者のまとめ役のウリエルである。そして聖ヨハネのように霊的な段階では上のレベルに位置するロゴス的大天使たちもいる。人間もそのような神的状態に目覚める過程にいるロゴス的大天使である。

守護大天使(Guardian Archangel) - たっちょ

2012/03/08 (Thu) 20:41:38
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一連の転生の始まりにおいて、私たちは人間のイデアを通過した直後から、「守護大天使」によって護られ、導かれている。私たちが分離の世界に一時的に滞在している間も含めて、この大天使は永遠のパーソナリティーの計画をサポートし、決して私たちの自由意志に干渉することなく、貴重なレッスンである一つひとつの転生を経験できるように助けている。私たちの最も忠実な友である、この大天使は私たちと共にエゴを与えられた存在であり、トウロンズ(座天使)の階級から来ている。

基本元素(エレメント)の大天使(the Archangels of the elements) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 17:48:54
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私たちの人生で日頃最も接している大天使たちで、火・水・土・気という基本元素(エレメント)を支配している。彼らはあらゆる波動領域でマインドを使って世界や宇宙を創造し、イデアと形態を表現している。もちろん、人間のあらゆる体を創造し維持している。光と火を支配するミカエル、水とあらゆる液体を支配するガブリエル、エーテル・バイタリティーと呼ばれる電磁生命エネルギーを支配するラファエル、秩序と調和の普遍法則を司るウリエル、大地のエレメントを支配する天使シャマエルが、私たちのすべての体で休むことなく働いている。土の天使シャマエルは、大天使ルシファーのエレメンタルで天使である。

絶対存在性、絶対無限の存在性(Absolute Be-ness/Absolute Infinite Be-ness) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 21:52:56
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神の特質であり、それは人間や大天使の理解を完全に超えたところにある。それは究極の源であり、神聖なる神の計り知れなく、筆舌に尽くしきれない深遠さを示している。さらに、それは表現を超えたものであり、新約聖書に「いまだかつて、神を見た者はいません」(新約、ヨハネの手紙一、4:12)と著されている。

全なる愛、全なる智慧、全なる力(Total Love, Total Wisdom, Total Power) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 21:54:30
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絶対存在とあらゆる永遠の存在の基本的特質。聖なる三角形(三位一体性)を形成し、それぞれの本質が正しく表現されるために、互いに助け合っている。

超知性(Super-Intelligence) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 21:55:47
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永遠なる生命である絶対無限の存在を表す言葉で、あらゆる知性を超越し、知らないことがまったくない全知性を指す。

自己充足/自己充足性(Self-Sufficiency,Divine) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 21:57:11
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絶対存在の基本的な特質の一つ。完全なる豊かさ。至福。あらゆる必要性から完璧に自立した状態。

多重性(Multiplicity/Plurality) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 21:59:51
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ご自身をご自身の中に多重的に顕している絶対存在の本質の一つ。新約聖書、エフェソの信徒への手紙、第1章23節に「すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場所です」と著されているように、生命のあらゆる多様性は、神である絶対存在の中に存在している。

意志の喜び(Will-Pleasure) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:01:31
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絶対存在は、天地創造としてご自身をご自身の中に表現している。ギリシャ語で「意志の喜び」を意味する"エバレスキア”という言葉は、「温かい寛大さと、豊かな源から惜しみなく与えることによって生じる喜び」という意味が含まれている。創造性における神の喜び。

天地創造(Creation) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:04:50
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絶対存在が、ご自身の中に宇宙として顕したご自身の一部である。そこには高次の天国から存在の世界までが含まれる。「天地創造」にあるすべてのものは、聖霊とキリスト・ロゴスによる監理のもと、「神聖なる計画」と調和している。

神聖なる計画(Divine Plan) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:06:14
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「天地創造」の青写真のようなもの。それは完全にして、完璧な青写真であり、森羅万象、あらゆる出来事の原因となっている。この最も賢明なる絶対存在の「神聖なる計画」に、私たちの思考・行動を調和させていくことが、私たち存在の目的である。

神聖なる原理/神聖なる法則(Principles and Laws, Divine) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:08:23
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神聖なる原理と法則は、時間・場所・空間におけるすべての表現を支配している。それらは「神聖なる計画」の基本的な仕組みであり、すべての世界や宇宙の秩序と調和を保っている。私たちがこれらの法則(たとえば、原因と結果、調和、秩序、成長、愛の法則など)や原理(たとえば、実現性の循環、蓋然性の循環などの原理)を理解して、自分と一致させると、霊的に進化させることができる。

神聖なる慈悲/神聖なる恩寵(Mercy and Grace, Divine) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:11:42
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この二つは、ほとんど知られていないが、天地創造の中で最も憐れみ深い力であり、いわゆる「原因と結果の法則」に大して例外となるような奇跡的なことを引き起こす”許しの力”である。私たちに”自由意志”という恵が与えられていることは、まさに「神の恩寵」である。また、新約聖書、マタイによる福音書5章45節に「あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくれるからである」と示されているのは、「神の慈悲」である。さらに、ヤコブの手紙2章13節にも「憐れみは裁きに打ち勝つのです」と著されている。

神聖なる瞑想(Divine Meditation) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:13:00
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「神聖なる瞑想」とは、言葉で表現することは困難であるが、「天地創造」の前段階と考えられる。すなわち、絶対存在がご自身をご自身の中に表現する時の黙想状態とされている。しかし、”神聖なる逆説”として、「天地創造」が起きていなければ、時間が存在していないという考えもある。

マインド-ライト(Mind-Light) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:16:05
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すべてのものはマインドから創られ、マインドであると言える。そのため、マインド-ライトは存在の世界や、そこを超えた世界においても、異なる周波数レベルの光として存在する。マインドが、形態のない超素材、素材、超物質、そして物質まであるように、それらの段階に対応した周波数の光があることになる。

スーパーライト/メンタル・ライト(Super Light/Mental Light) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:17:58
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これらの光は分離の世界を超えた六次元や七次元からの光であり、消えることのない光と言われ、対象物の印象を得たり理解する手段ではなく、光そのものが善なる理解であり、啓示と言える光である。

サイキカル・ライト/ノエティカル・ライト(Psychical/Noetical Light) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:19:51
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それぞれ四次元と五次元を照らしている光。これらの次元では、物質の原子であり、細胞である一つひとつが自ら光を発している。これらの光の波動は対象物を照らすものではなく、心を満たす感覚を提供する。

存在の世界(the worlds of Existence, Manifestations) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:23:41
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絶対無限の存在である神の「意志の喜び」により表現が始まると、マインドを使って創造が始まり、法則とイデアによってさまざまな世界が現れてくる。「存在の世界」とは、絶対存在の「神聖なる意志」により創造されたすべてのものが存在する世界を指す。それは永遠に存在しながら、同時に一時的にも存在する部分も含む。たとえば、私たちの「霊-魂としての存在」(Spirit-sSoul-Being)は、永遠の存在でありながら、人間として創造され、一時的に存在している部分(転生のごとに変わるパーソナリティー)も含まれる。

形態と原型(Forms and Archetypes) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:27:03
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何であれ存在するためには、「形態」が必要となる。あらゆる生命現象の源は、コーザル・ステートにあるイデアにあり、ノエティック形態にならって形態化される。存在の世界には数えきれないほどの元型的な形態が反映されている。各々の形態は、その独特な「実現性の循環」という原理を内包し、それが他の存在から明確に区別している。聖霊の管理の下、大天使たちは生命現象を創造し維持するために、形態を通して働いている。

コーザル・ステート(Causal States) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:28:43
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ノエティック・ステートより波動的に上位にある領域で、純粋な愛、原因、法則、原理の世界。二元性や分離を超えた世界であり、高い階級の大天使によって管理されている。五番目以上の天国として知られている。

ノエティック・ステート/超ノエティック・ステート(Soetic State/Supernoetic State) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:31:54
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分離の世界とコーザル・ステートをつないでいるイデアの世界。そこは「永遠の今」にあり、まだ形態が表現されていない世界で、すべての形態の鋳型となる様々なイデアが存在する六次元の世界。大天使たちは、この「ノエティック・ステート」から形態を引きだし、生命現象を創造し、維持している。私たちが転生と転生の間に休みに来る世界である。また、超ノエティック・ステートとは、ノエティック・ステートを超えて、よりコーザル・ステートに近接した世界を意味する表現である。

永遠の今/永遠の現在(Eternal Now, Eternal Present) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:35:13
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分離の世界を超えた領域が、”永遠の生命”の世界であり、「永遠の今」の世界である。「時間と場所」という概念は、分離の世界で生じる印象から発生し維持されているものである。これらの概念とそれぞれにおける経験は、各次元により異なってくる。存在の世界は、「永遠の現在」にある高次の天国の内にある。存在の世界における私たちの経験は、現在、過去、未来が「永遠の今」に溶け込んでいる”永遠の生命”の世界、すなわち、より大きな全体性から見れば、ほんのわずかな一片にしか過ぎないのである。

分離の世界/二元性の世界(Worlds of Separation, Worlds of Duality) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:37:15
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存在の世界のうち、三つの世界(物質界、サイキカル界、ノエティカル界)をさす。そこで、私たちは絶対存在から分離しているように感じられる期間を過ごす。これらは二元性の世界であり、私たちが毎回、転生しては経験する空間・場所・時間の世界である。

サイコ-ノエティカル(Psycho-Noetical) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:39:42
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サイキカル界(感情の世界)とノエティカル界(思考の世界)との関係は、しばしば密接に絡み合っているので、あるレベルの領域においては、ほぼ一つのものと考える必要がある。なぜなら、感情がまったく入らない思考は稀であり、あらゆる感情には多少の思考が含まれるからである。そのため、「サイコ-ノエティカル(界)」という表現を使う必要がある。

エーテル界(Ethereal World) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:42:52
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物質の中には個体よりはるかに純化され精妙な状態で、肉眼でとらえたり感じ取ることが出来ない物質、エーテルが存在している。これが存在する領域を指す言葉で、広くは物質界のエーテル対応体としての領域をいう。恒星(太陽)であっても、惑星であっても、エーテル対応体を備えている。


エーテル対応体(Etheric Counterpart)
 人間の3つの体にエーテル・ダブルがあるように、物質界に存在するあらゆる原子、細胞から天体、すなわち恒星(太陽系では太陽)や惑星に至るまでエーテル対応体が存在する。

三つの世界(物質界、サイキカル界、ノエティカル界) - たっちょ

2012/03/23 (Fri) 22:55:49
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ノエティカル界(Noetical World)
思考と、思考を司る「ノエティカル体」の故郷である五次元の世界が「ノエティカル界」。三つの分離の世界では、最も波動が高くピュアな世界。この世界で、絶対存在の全なる智恵は、銀河から単細胞生物に至る、マインド超素材でつくられた想念形態を二元性の世界で表現する。この世界は七つのプレーンに分かれ、一つのプレーンがさらに七つのサブ・プレーンに分かれている。

サイキカル界(Psychical World)
四次元の世界で、「感情の世界」として知られている。私たちのサイキカル体は、意識的および潜在意識的な感情や欲望の混合によって構成されている。したがって、あるものは有益であり、あるものは有害である。私たちのサイキカル体が存在する、超感覚的なサイキカル界は、七つのプレーンから構成され、一つのプレーンがさらに七つのサブ・プレーンに分かれている。体外離脱を経験する時、私たちのサイキカル体が最初にいく場所である。また、三次元の物質界で死を迎えたときに、最初に戻っていく世界でもある。

物質界(Gross Material World)
マインドが最も低い波動数によって個体を形成することで、三次元の重い「物質界」と「肉体」ができる。このため、重く鈍く粗い(波動が低い)物質的な肉体という表現があえて使われている。

実現性の循環(Circle of Possibilities) - たっちょ

2012/03/24 (Sat) 21:42:57
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一時的な存在はその形態に、「実現性の循環」として知られる原理を内包している。この原理は「全なる知恵」の具現化であり、すべての生命現象という表現を正確に描く。あらゆる形態は、種から木へと、あるいは子供から大人へと絶えず成長を重ねる。生命は必ず動き、変化し、そうした循環の中でさまざまな経験を得る。一つひとつの生命現象は違っても、その本質に変わりはない。永遠の今において、形態には「実現性の循環」が備わっている。どのような形態であれ、この原理から逃れることはできない。つまり、人間は常に人間として転生するのであって、一つの形態が別の形態に転生することはあり得ない。

蓋然性の循環(Circle of Probabilities) - たっちょ

2012/03/24 (Sat) 21:45:19
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「実現性の循環」は完璧かつ逃れられない成長の循環だが、「蓋然性の循環」という原理は、あらゆる出来事を可能としている。なぜなら、人間は自分の人生の道を選ぶ自由が与えられている。種は発芽しないこともあれば、若木が病気で枯れることもある。一つひとつの「実現性の循環」の中には、数知れない「蓋然性」が見いだされる。

永遠の存在と一時的な存在(Being and Existing) - たっちょ

2012/03/24 (Sat) 21:47:35
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永遠の存在とは、私たちの神聖なる本質であり、広大無限かつ始まりも終わりもなく永遠に存在する霊をいう。一時的な存在とは、永遠の存在の投影として、「時間―場所―空間」の領域に制約され、始めと終わりがある一時的な現象をさす。

個別化された自己性(Individuated Selfhood) - たっちょ

2012/03/24 (Sat) 22:05:29
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源を一つにする神聖なる存在である私たちのパーソナリティ。「自己性」とは「霊―エゴ―存在」としての聖なるモナドの頂点から、「自己認識―魂」、「永遠のパーソナリティー」、そして狭量な「現在のパーソナリティー」まで、四つの「自己」を含む総称である。一つひとつの「自己」としての表現の中で、低く評価されるものは一つもなく、それぞれが必要で大切なものである。私たちの「霊―エゴ―存在」は、自分の「自己性」の中に自分を表現することで、ご自身をご自身の中に表現している絶対存在と意志の喜びを共にしている。

個別化された自己(Individuality)
「自己認識-魂」を指す。いわゆる、魂としての自己であり、本質的な自己であり、不滅で永遠なる存在である。

自己認識/自己認識性(Self-Awareness) - たっちょ

2012/03/24 (Sat) 22:10:39
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神聖なる計画の中における「自己」を、目覚めた意識レベルで認識すること。私たちは意志の力により内省や瞑想などの修練を重ねることで、眠っているような日々の意識状態から目覚め、拡張された自己認識の状態へ入ることができる。自己認識性とは、人生の目的として自己を認識する道に戻り、歩むことを意味する。この「自己認識の道」を進化と呼ぶこともできる。

自己実現(Self-Realization) - たっちょ

2012/03/31 (Sat) 18:18:23
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分離の世界における人生経験の最高到達点。意識進化の七階段(ヤコブの階段)で、「自己意識」の段階に到達した後に、「自己超意識」へ向かって進む中で、私たちが神であることを認識できた時に、「自己実現」に到達する。そうすると、現在のパーソナリティーは永遠のパーソナリティーと統合され、「自己認識―魂」に同化する。この状態になると、テオーシスの中で「霊―エゴ―存在」と一体化する準備ができたことになる。

<ヤコブの階段>
ダスカロスは人間の意識の成長を七段階で捉え、これを進化と呼んでいる。感受性、感覚性、本能、潜在意識、意識認識性、自己意識、自己超意識の七段階でヤコブの階段と呼ばれている。与えられる光のレベル。

1.敏感さ(sensitivity)
  私たちの骨にもある。生物だけでなくあらゆる存在に備わっているといえる。
2.感受性(sensibility)
  内臓や筋肉、自分の意識が持ってる。感知する能力。
3.本能(instinct)
  人間だけでなく動物、植物にもある。
  子どもたちは本能で生きている。育つにつれて潜在意識のレベルに入れる。

4.潜在意識
  潜在意識の世界の最初の段階では、人間は自分の欲望にとらわれている。
  つまりその段階では私たちは欲望より強くない。
  意識的に生きることが第3のステップ

5.意識的な認識
  意識的な認識が出来る人は少ない。(100人程度に数人程度)
  なぜなら自分の弱み、欲望をコントロールすることが必要だから。

6.自己意識
  現在の自分のパーソナリティではなく、
  自己の本質である永遠のパーソナリティにコンタクトをとれる必要がある。

7.自己スーパー意識
   アチューンメント(波動をあわせる) 
   人のことを考え、その人の波動にあわせることができる
   そのレベルだとテレパシー、遠視などもできる。
   自己認識を拡大できる、そして知りたいことに自分の意識を向けることでわかる
   精霊と波動をあわせると、完全なヒーリングが出来る。
   サイコセラピーを超えたスピリチュアルセラピー
   (ダスカロスは教えてきた生徒の中、8000人中10~20人ぐらいだったらしい)

内なる自己(Inner Self) - たっちょ

2012/03/31 (Sat) 18:20:51
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「永遠のパーソナリティー」として投影されている「自己認識―魂」を示している言葉。

共通の自己性(Common Selfhood) - たっちょ

2012/04/03 (Tue) 22:04:33
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「現在のパーソナリティー」としての私たちは、互いに対立しやすいもので、その間の溝は深いように感じられる。しかし、共通のロゴス的意識の下では、私たちは一体化され、分割できない関係である。このことを、キリストであるジョシュア・イマヌエルは、「かの日には、わたした父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」(新約、ヨハネによる福音書14:20)と述べている。さらに、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(新約、ヨハネによる福音書15:5)とあるのは、このことである。

エゴとエゴイズム(Ego and Egoism) - たっちょ

2012/04/03 (Tue) 22:10:14
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ダスカロス用語の中ではこれらの二つの用語を、現代の心理学用語とは異なった意味で使っている。私たちが利己的な感情、敵意、妬みなどによって利己的欲望を生み出す時、「エゴイズム」はマインドを誤った目的に使っている。「エゴイズム」とは野放しになっているエレメンタルの総計であり、一人ひとりのパーソナリティーから国家に至る世界中の混乱や病気の根源といえる。
一方、「エゴ」とは永遠の存在、すなわち「自己認識―魂」としての私たちの本質であり、理性と愛に満ちたパーソナリティーを通して現れる。「エゴ」という本質は、愛、憐れみ、理性的思考と行動を私たちにもたらす。

潜在意識(Subconscious) - たっちょ

2012/04/03 (Tue) 22:13:34
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真理の探究者は、「潜在意識」の特性としての三層構造を理解しなくてはならない。「潜在意識」の第一の部屋は、私たちのパーソナリティーを構成するすべてのエレメンタルの倉庫。第二の部屋は、生命力を与えるエーテル・バイタリティーの倉庫。第三は最も価値のある、ロゴスと聖霊の部屋。ロゴスと聖霊は、「潜在意識」を通して、全なる愛、全なる智慧、全なる力を授けている。

観察(Observation) - たっちょ

2012/04/07 (Sat) 19:59:45
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観察は、私たちの「神聖なる本質」の一部である。それは、緊張の無い意識であり、完全な集中力である。詳細な観察力と観察したものを思い起こす能力は、生命の理解の為に不可欠である。

●緊張しないで意識を集中すること。詳細に観察する能力と、観察したものを詳細に思い出す能力がないと、神聖なる計画に気づくこともアチューンメントもできません。観察は、聖なる本質のひとつの現れです。

(追記)
観察とは聖なる本質の一部です。物質界、あるいはサイキカル界、ノエティカル界の各層において、私たちはいかなるものにも注意をそらすべきではありません。

集中(concentration) - たっちょ

2012/04/07 (Sat) 20:05:57
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創造的思考やヒーリングを行うために、最も重要な要素のひとつ。自分が選んだテーマや対象物に、全思考を集中させることを学びましょう。拡大鏡で焦点を合わせるように集中すると、外的な力の影響を受けずに、現在のパーソナリティーを一時的に脇に置いて対象物に同化することができます。(これがアチューンメントや一体化のプロセスとなります)。

(追記)
集中とは、私たちの注意を対象物、感情、思考あるいはイデアに完全に向けることです。集中する対象の大きさは問題になりません。新約聖書、ルカによる福音書16章10節でジョシュアが「小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きい事にも不忠実である」と話したことを忘れないように。私たちは真理の探究にあたって、どんなことにも気を散らすことがないほど、集中力を発達させる必要があるのです。

視覚化(Visualization) - たっちょ

2012/04/07 (Sat) 20:15:28
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視覚化は神の言葉であり、天の王国への「鍵」(新約、ヨハネの黙示録3:7)である。深い観察と完全な集中力を習得すれば、意識的に視覚化する能力が身につく。私たちはサイコ-ノエティカル・イメージからすべてのシーンに至るまで、エーテル・バイタリティーを使ってエレメンタルを創造することができる。視覚化を苦手だと考えている人もいますが、実際には誰でもエレメンタルをつくりだす際に、潜在意識において視覚化を行っています。それこそ、私たちが世界を創造している方法なのです。私たちの世界において、思考ほどパワフルなものはありません。
ヒーリング・ワークでは、視覚化を使って物質化と非物質化を学ぶことになる。従って、視覚化は“思考”を意識の拡張と、救済を求める人々のために建設的方法で利用するプロセスであると言える。

サイコ-ノエティカル―イメージ(Psycho-Noetical Images)
サイコ-ノエティカル素材による多次元イメージのことで、ノエティック・ライトを使う視覚化により形成される。他のエレメンタルと同様に、これらのエレメンタルは永遠に存在することになる。

内省(Introspection) - たっちょ

2012/04/07 (Sat) 20:23:06
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私たちの言動を引き起こしている源に遡る”内なる探求”のこと。その源が、私たちのパーソナリティーや潜在意識の自意識的な形成を決定づけている。内省の目的は、新約聖書、ヘブライ人への手紙、9章14節に「私たちの良心を死んだ業から清めて・・・」と示されているように、自己をエゴイズムの呪縛から解放することである。日々の内省は”Looking within”(内観、あるいは、内在するものを観る)とも著され、”自分自身を知る”ための内なる探求であり、自己診断のプロセスのことである。これは、あらゆる真理の探究者、自己実現を目指す人々にとって中心的なプラクティスである。

エゴイズムに振り回され、死に至るような行動から良心を解き放ち、自らを自由にしようと決断すること。こうすることによって、私たちは魂の智恵と慈しみの声に導かれていきます。

瞑想(Meditation) - たっちょ

2012/04/07 (Sat) 20:31:33
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内省による内的な到達は、瞑想により意識をより拡張させた領域へと運ぶ。その探求は、現在のパーソナリティーの個人的な経験を超えて、普遍性と永遠性の領域に向けて、無限に広がる”マインドの海”に自己だけで乗り出して行くことである。

普遍かつ永遠の世界において、愛より偉大なものは何もありません。新約聖書、ヨハネの手紙1-4章18節に「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」とあるのはこのことで、絶対存在の愛はまさに宇宙の中心であり、すべての創造の源なのです。そして、私たちの源も同じ愛にあり、私たちの心に宿るのもの同じ愛です。

(追記)
瞑想は、観察と集中の要素を含みます。つまり、ひとつのテーマに関して完全なる集中力をもって熟考し、その細部にわたって観察することが求められるのです。

アチューンメント(Attunement) - たっちょ

2012/04/08 (Sun) 15:28:34
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私たちの波動を他の存在や永遠の存在の周波数に合わせること。これにより、対象とするものの本質を観察、学習することができるレベルのことを言う。アチューンメントは「一体化」(アットワンメント)の前段階である。

エクスタシー(Ecstasy) - たっちょ

2012/04/08 (Sun) 15:30:40
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意識の拡張、アチューンメント、そして神との一体化(テオーシス)を通して天の王国に入ること。つまり、「エクスタシー」とは、「時間・場所」という制約やあらゆる概念的思考を超越した心の状態といえる。

体外離脱(Exosomatosis) - たっちょ

2012/04/08 (Sun) 15:36:38
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体外離脱を意味する”エクソソマトシィス”というギリシャ語に一番近い英語表記は「体の外」(out of body)である。この体外離脱には、第一段階として肉体からの、第二段階としてサイキカル体からの、第三段階としてノエティカル体からの離脱がある。私たちは誰でも毎晩、睡眠中に肉体から離れ、潜在意識レベルで他の次元に旅している。真理の探究者の目的の一つは、このような潜在意識レベルの体外離脱ではなく、自己意識を維持したまま肉体を離れ、自由に活動できるようになることである。

他界(Passing-Over) - たっちょ

2012/04/08 (Sun) 15:49:14
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他界は「死」に対する婉曲的な表現である。これは人間が「実現性の循環」の中で、現在のパーソナリティーが一つの次元における存在を終え、次の次元で生き続けることを示唆している。従って、「死」は最後ではなく、次の次元での始まりであり、新たな誕生である。

永遠の原子(Permanent Atom) - たっちょ

2012/04/08 (Sun) 15:51:06
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「永遠のパーソナリティー」の一部であり、空間・場所・時間の世界で得たすべての経験と学びが記録されている。「永遠の原子」は三つのエーテル・ダブルのエーテル・ハートに同時に存在し、三つの世界で起こった感情・思考・反応などあらゆる経験を記録している。

宇宙意識/宇宙の記憶(Cosmic Consciousness, Cosmic Memory) - たっちょ

2012/04/08 (Sun) 15:53:20
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全宇宙の過去から現在に至るあらゆる出来事は、「宇宙意識」の中に記録・保存されている。「宇宙意識」は、永遠の今にいつも生きているエレメンタルによって構成されている。この「宇宙意識」の中に、”アカシック・レコード”と呼ばれる「宇宙の記憶」が含まれるが、これはすべての人間の印象、行動、思考、感情、要望が記録された「天のアーカイブ」(記録保管所)のようなものである。


(追記)
神秘家は「宇宙意識」にアチューンメントすることで、自身の意識の発達レベルに応じた情報を受け取り学ぶことができる。

信仰(Faith) - たっちょ

2012/04/09 (Mon) 21:46:04
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さまざまな宗教の教義上の真理を、個人的に、また理論的に信仰するだけでは足りない。絶対存在に対する愛と理解、包括的な結びつきがあってこそ「信仰」といえる。こうした真の「信仰」に至るには、私たちの現在のパーソナリティーを完全に変容させる必要がある。そうすることによって、私たち人間は神へと戻っていくプロセスに入り、やがて”テオーシス”(神との一体化)を体験することができる。つまり「信仰」とは、このように実践してこそ生きる行いなのである。新約聖書、ヤコブの手紙2章26節に「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです」と書かれているのは、このことをさす。

信仰とは受け身になることではなく、心を清め精神を浄化すべく、積極的に努力することです。

サイコセラピー(Psycho-Therapy) - たっちょ

2012/04/10 (Tue) 20:00:55
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キリストの秘儀的教えに基づく「サイコセラピー」は、ヒーリングに関するすべての領域を含んでいる。パーソナリティーの中に生じる問題を扱うだけではなく、本来の「サイコセラピスト」はノエティカル体、サイキカル体、肉体の健康すべてを判断し扱えなくてはならない。従って、意識の高い「サイコセラピスト」は、四つの状態にあるエーテル・バイタリティーの意識的活用、視覚化、人体解剖学の総合的知識(エーテル・ダブルも含め)、潜在意識の理解、神聖なる法則への認識など、多くの分野で修練を積んでいなくてはならない。
「サイコセラピスト」によるヒーリング効果は、「サイコセラピスト」自身のハートの清廉性と意識に大きく影響される。自分自身を”ヒーラー”として捉えるのではなく、むしろ”聖霊のためにふさわしい導管”として捉える必要がある。「サイコセラピスト」の意識の中心が慈悲や深い関心や受容性になくてはならず、これらを超えて”愛”が最大の価値観でなくてはならない。たとえ患者が時間・場所・空間という三次元に起因する数々の問題を抱えていても、共通の自己性における「霊―魂としての自己」として捉えられなくてはならない。

真理の探究のためのシステム(System for the Research of Truth) - たっちょ

2012/04/10 (Tue) 20:10:15
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秘儀的なキリストの教えによるこのシステムは、すべての偉大なる宗教的伝統として知られる永遠の真実を讃えると同時に、「神―人」キリストであるジョシュア・イマヌエルの教えと、新約聖書にその基礎を置いている。私たちは、はっきりとした目的をもつ学び、エクササイズ、瞑想を通して、私たちの全存在にとってバランスのとれた進化と統合の道を探求し、道徳的、倫理的、精神的、神秘的側面を育てる。その方法は順序立って、安全かつ自明のものである。

キリスト・ロゴス(Christ Logos) - たっちょ

2017/05/30 (Tue) 17:42:18
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キリスト、あるいはキリスト・ロゴスという時、基本的に「神の独り子」を意味している。また、キリスト・ロゴスが受肉化された存在としてのジョシュア(イエス)は、「最愛なるロゴス」を意味する。私たちの学びの中でしばしば使われる「聖なるロゴス」あるいは「神ー人」であるイエス・キリストは、絶対存在性のロゴス的表現による純粋、完全、かつ直接的に受肉化された存在を指している。
 神聖なる共通の自己性であるロゴスは、絶対存在であり、「超自己意識」として顕されている。ロゴスは、“言葉”を意味するギリシャ語から訳された言葉であり、新約聖書ヨハネの福音書、第1章1節に「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とある。しかし、ダスカロスによるギリシャ語の聖書原典からの翻訳では、“初めに”と訳されているギリシャ語には“権威”という意味もあり、「ロゴスは権威の中にあった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった」と訳すことを支持している。また、ヨハネの福音書、第1章9節に、「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」とあるように、ロゴスは“まことの光”である。キリストであるジョシュア・イマヌエルが、「わたしは神の子だ」(マタイ27:43)という時はキリスト・ロゴスとして話し、「わたしは人の子だ」(マタイ8:20、ルカ19:10他)という時、人間として話している。
 ジョシュアは、2000年以上前にパレスティナで、ロゴスからの直接的で純粋な光として、受胎告知で肉体を与えられた。新約聖書に保存されている彼の神聖なる教えは、意識の進化に計り知れない導きを与え、私たちが生きるべき普遍的で永遠なる道を指し示している。

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